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STORY 1

文明開化を支えた
やきものとものづくりの精神

STORY 1

文明開化を支えたやきものとものづくりの精神

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル

帝国ホテル旧本館(ライト館)北客室棟
帝国ホテル旧本館(ライト館)北客室棟
  • 帝国ホテルの設計にあたり、ライトは日本の近代化と、西洋と東洋の異文化の交流を象徴する斬新なデザインを用いました。また、当時典型的な西洋建築に用いられていた赤煉瓦を使わず、表面にスクラッチ加工を施した黄色い煉瓦(スダレ煉瓦)や装飾テラコッタ、大谷石を用いることにより、日本人の感覚に合う温かみのある自然な色調に仕上げました。

  • ライトの帝国ホテル旧本館は、近代日本を象徴する建築物となりました。そのスタイルを真似て、スダレ煉瓦(スクラッチタイル)は人気を博し、日本の風土に合った外装建材の工業化の発端となりました。

帝国ホテル旧本館(ライト館)正面の夜景
帝国ホテル旧本館(ライト館)正面の夜景(© Osamu Murai)

帝国ホテル旧本館の壁に用いた、当時としては珍しい黄色いスダレ煉瓦が(スクラッチタイル)は、やきものの街として知られる愛知県常滑市に設立された専用工場「帝国ホテル煉瓦製作所」でつくられました。当時はまだ手工業から機械化による大量生産への過渡期でしたが、技術指導として迎えられた伊奈初之烝と長三郎親子の尽力と、職人たちの試行錯誤により、ライトの要望に応えた煉瓦400万個と、何万個もの繊細な形をしたテラコッタが完成しました。そして伊奈親子は、帝国ホテル旧本館の竣工とともに、役割を終えた「帝国ホテル煉瓦製作所」の設備と従業員を、伊奈製陶(INAX)に引き継ぎました。

帝国ホテル旧本館(ライト館)の壁を覆ったスダレ煉瓦(スクラッチタイル)
光の籠柱:テラコッタと大谷石を組み合わせ、照明を兼ねた柱がホテルのロビーを飾った
帝国ホテル煉瓦製作所で、スクラッチタイルをつくる様子

帝国ホテル旧本館の館内は、ライトがデザインした採光により高窓から陽が降り注ぐなか、光を通す孔のある透かし彫りの煉瓦や、彫刻を施した大谷石、繊細なテラコッタが陰影をつくり出し、独特の神秘的な空間を演出しました。

フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル旧本館のロビー(© Osamu Murai)

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル

帝国ホテル旧本館(ライト館)北客室棟
帝国ホテル旧本館(ライト館)北客室棟
帝国ホテル旧本館(ライト館)正面の夜景
帝国ホテル旧本館(ライト館)正面の夜景(© Osamu Murai)

帝国ホテル旧本館の壁に用いた、当時としては珍しい黄色いスダレ煉瓦が(スクラッチタイル)は、やきものの街として知られる愛知県常滑市に設立された専用工場「帝国ホテル煉瓦製作所」でつくられました。当時はまだ手工業から機械化による大量生産への過渡期でしたが、技術指導として迎えられた伊奈初之烝と長三郎親子の尽力と、職人たちの試行錯誤により、ライトの要望に応えた煉瓦400万個と、何万個もの繊細な形をしたテラコッタが完成しました。そして伊奈親子は、帝国ホテル旧本館の竣工とともに、役割を終えた「帝国ホテル煉瓦製作所」の設備と従業員を、伊奈製陶(INAX)に引き継ぎました。

帝国ホテル旧本館(ライト館)の壁を覆ったスダレ煉瓦(スクラッチタイル)
光の籠柱:テラコッタと大谷石を組み合わせ、照明を兼ねた柱がホテルのロビーを飾った
帝国ホテル煉瓦製作所で、スクラッチタイルをつくる様子

帝国ホテル旧本館の館内は、ライトがデザインした採光により高窓から陽が降り注ぐなか、光を通す孔のある透かし彫りの煉瓦や、彫刻を施した大谷石、繊細なテラコッタが陰影をつくり出し、独特の神秘的な空間を演出しました。

フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル旧本館のロビー(© Osamu Murai)

テラコッタ装飾

東京は大正12(1923)年の関東大震災によって壊滅的な被害を受けましたが、その後は百貨店、銀行、官庁などの建築物が「鉄筋コンクリート」で建ち、外壁にはタイルやテラコッタが施されました。

テラコッタの華やかな装飾は、震災復興期のシンボルとなりました。それは大阪、京都、横浜などほかの都市にも広がっていき、街を飾り日本の近代における「装飾の時代」を形づくっていきます。テラコッタのデザインには、世界のさまざまな装飾様式やモチーフのほかに、施主の家紋など日本の意匠も採用されました。

この頃、伊奈製陶(INAX)は、帝国ホテル旧本館のテラコッタ製作で得た知識や経験を活かし、日本のテラコッタ装飾の製造を牽引していました。

髙島屋大阪店(南海ビルディング)の外壁を彩るテラコッタ装飾の設計図面
髙島屋大阪店(南海ビルディング)の外壁を彩るテラコッタ装飾の設計図面
昭和5(1930)年に竣工した旧大日本製薬本社ビルの壁面を飾った鬼面のテラコッタ。鬼は建物の中の者を守り、悪を外に追い出すと考えられていた。伊奈製陶製造
昭和5(1930)年に竣工した旧大日本製薬本社ビルの壁面を飾った鬼面のテラコッタ。鬼は建物の中の者を守り、悪を外に追い出すと考えられていた。伊奈製陶製造(© Isao Aihara)
昭和7(1932)年竣工の髙島屋大阪店(南海ビルディング)のテラコッタ装飾。コリント式列柱のアカンサス模様の柱頭の上には華やかな花瓶が飾られている。伊奈製陶製造
昭和7(1932)年竣工の髙島屋大阪店(南海ビルディング)のテラコッタ装飾。コリント式列柱のアカンサス模様の柱頭の上には華やかな花瓶が飾られている。伊奈製陶製造(Nankai Building, Osaka © Isao Aihara)
昭和9(1934)年竣工の静岡市役所静岡庁舎本館。スパニッシュ洋式の建築の上にはテラコッタの飾塔とイスラーム風のドーム屋根がそびえる。ドームの屋根は緑と金色のモザイクタイルでコンパスの図案を表している。伊奈製陶製造
昭和9(1934)年竣工の静岡市役所静岡庁舎本館。スパニッシュ洋式の建築の上にはテラコッタの飾塔とイスラーム風のドーム屋根がそびえる。ドームの屋根は緑と金色のモザイクタイルでコンパスの図案を表している。伊奈製陶製造(Shizuoka City Hall Building, Shizuoka © Isao Aihara)
明治時代の外国人居留地の写真

明治時代の外国人居留地の写真(Courtesy of Yokohama Archives of History)

テラコッタ装飾

東京は大正12(1923)年の関東大震災によって壊滅的な被害を受けましたが、その後は百貨店、銀行、官庁などの建築物が「鉄筋コンクリート」で建ち、外壁にはタイルやテラコッタが施されました。

テラコッタの華やかな装飾は、震災復興期のシンボルとなりました。それは大阪、京都、横浜などほかの都市にも広がっていき、街を飾り日本の近代における「装飾の時代」を形づくっていきます。テラコッタのデザインには、世界のさまざまな装飾様式やモチーフのほかに、施主の家紋など日本の意匠も採用されました。

この頃、伊奈製陶(INAX)は、帝国ホテル旧本館のテラコッタ製作で得た知識や経験を活かし、日本のテラコッタ装飾の製造を牽引していました。

髙島屋大阪店(南海ビルディング)の外壁を彩るテラコッタ装飾の設計図面
髙島屋大阪店(南海ビルディング)の外壁を彩るテラコッタ装飾の設計図面
昭和5(1930)年に竣工した旧大日本製薬本社ビルの壁面を飾った鬼面のテラコッタ。鬼は建物の中の者を守り、悪を外に追い出すと考えられていた。伊奈製陶製造
昭和5(1930)年に竣工した旧大日本製薬本社ビルの壁面を飾った鬼面のテラコッタ。鬼は建物の中の者を守り、悪を外に追い出すと考えられていた。伊奈製陶製造(© Isao Aihara)
昭和7(1932)年竣工の髙島屋大阪店(南海ビルディング)のテラコッタ装飾。コリント式列柱のアカンサス模様の柱頭の上には華やかな花瓶が飾られている。伊奈製陶製造
昭和7(1932)年竣工の髙島屋大阪店(南海ビルディング)のテラコッタ装飾。コリント式列柱のアカンサス模様の柱頭の上には華やかな花瓶が飾られている。伊奈製陶製造(Nankai Building, Osaka © Isao Aihara)
昭和9(1934)年竣工の静岡市役所静岡庁舎本館。スパニッシュ洋式の建築の上にはテラコッタの飾塔とイスラーム風のドーム屋根がそびえる。ドームの屋根は緑と金色のモザイクタイルでコンパスの図案を表している。伊奈製陶製造
昭和9(1934)年竣工の静岡市役所静岡庁舎本館。スパニッシュ洋式の建築の上にはテラコッタの飾塔とイスラーム風のドーム屋根がそびえる。ドームの屋根は緑と金色のモザイクタイルでコンパスの図案を表している。伊奈製陶製造(Shizuoka City Hall Building, Shizuoka © Isao Aihara)
明治時代の外国人居留地の写真
明治時代の外国人居留地の写真(Courtesy of Yokohama Archives of History)

日本の近代化を支えた土管

常滑の工場で出荷を待つ土管
常滑の工場で出荷を待つ土管(© Tsuchinoko Tokoname Cultural Heritage Society)
  • 帝国ホテル旧本館のスダレ煉瓦やテラコッタ製造に携わる以前に、伊奈初之烝は明治35(1902)年に常滑で土管製造業を開業し、土管を大量に生産する工場を営んでいました。土管は日本各地で生産されていたものの、常滑産のものは耐久性と精度に優れ、東京、横浜をはじめとする日本の主要な近代都市で多く用いられるようになりました。

20世紀初頭の土管を埋める式典風景
20世紀初頭の土管を埋める式典風景(© Tsuchinoko Tokoname Cultural Heritage Society)
]窯が収まった「窯のある広場・資料館」の外観。現在は常滑の土管の歴史などを展示している。*保全工事のため、2016年12月~2019年秋(予定)一時閉館
窯が収まった「窯のある広場・資料館」の外観。現在は常滑の土管の歴史などを展示している。*保全工事のため、2016年12月~2019年秋(予定)一時閉館
煉瓦組みの窯本体を、焼成・冷却の過程で生じる膨張・収縮から保護するために、鉄道の廃レールや鉄棒を用いて補強していた
煉瓦組みの窯本体を、焼成・冷却の過程で生じる膨張・収縮から保護するために、鉄道の廃レールや鉄棒を用いて補強していた

常滑のINAXライブミュージアムは、大正10(1921)年につくられた大きな窯と高さ21メートルの煙突を、当時の様子を伝える貴重な産業遺産として保存公開しています。この大きな窯は、片面7カ所、両面合計14カ所の焚口から石炭を投入するものです。容量が大きいため、焼成に3~4日、冷却に10日間ほどかかりました。50年間使われ、クリンカータイルなどの製品とともに、最大級の3尺土管(内径が約90センチ)も生産していました。窯本体と煙突、建物は国の登録有形文化財に指定されています。

この窯では、焼成する際に最高温度に達した時点で、石炭とともに塩を窯の中に投入する。塩がやきものの素地(きじ)中の成分と反応し、ガラス質の釉面をつくり、製品の保水性を確保した。長年焼成を繰り返すうち、窯の内壁には塩による釉(うわぐすり)が層となり、今では美しい表情を見せている
この窯では、焼成する際に最高温度に達した時点で、石炭とともに塩を窯の中に投入する。塩がやきものの素地(きじ)中の成分と反応し、ガラス質の釉面をつくり、製品の保水性を確保した。長年焼成を繰り返すうち、窯の内壁には塩による釉(うわぐすり)が層となり、今では美しい表情を見せている
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日本の近代化を支えた土管

常滑の工場で出荷を待つ土管
常滑の工場で出荷を待つ土管(© Tsuchinoko Tokoname Cultural Heritage Society)
20世紀初頭の土管を埋める式典風景
20世紀初頭の土管を埋める式典風景(© Tsuchinoko Tokoname Cultural Heritage Society)
窯が収まった「窯のある広場・資料館」の外観。現在は常滑の土管の歴史などを展示している。*保全工事のため、2016年12月~2019年秋(予定)一時閉館
窯が収まった「窯のある広場・資料館」の外観。現在は常滑の土管の歴史などを展示している。*保全工事のため、2016年12月~2019年秋(予定)一時閉館
煉瓦組みの窯本体を、焼成・冷却の過程で生じる膨張・収縮から保護するために、鉄道の廃レールや鉄棒を用いて補強していた
煉瓦組みの窯本体を、焼成・冷却の過程で生じる膨張・収縮から保護するために、鉄道の廃レールや鉄棒を用いて補強していた

常滑のINAXライブミュージアムは、大正10(1921)年につくられた大きな窯と高さ21メートルの煙突を、当時の様子を伝える貴重な産業遺産として保存公開しています。この大きな窯は、片面7カ所、両面合計14カ所の焚口から石炭を投入するものです。容量が大きいため、焼成に3~4日、冷却に10日間ほどかかりました。50年間使われ、クリンカータイルなどの製品とともに、最大級の3尺土管(内径が約90センチ)も生産していました。窯本体と煙突、建物は国の登録有形文化財に指定されています。

この窯では、焼成する際に最高温度に達した時点で、石炭とともに塩を窯の中に投入する。塩がやきものの素地(きじ)中の成分と反応し、ガラス質の釉面をつくり、製品の保水性を確保した。長年焼成を繰り返すうち、窯の内壁には塩による釉(うわぐすり)が層となり、今では美しい表情を見せている
この窯では、焼成する際に最高温度に達した時点で、石炭とともに塩を窯の中に投入する。塩がやきものの素地(きじ)中の成分と反応し、ガラス質の釉面をつくり、製品の保水性を確保した。長年焼成を繰り返すうち、窯の内壁には塩による釉(うわぐすり)が層となり、今では美しい表情を見せている
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